働きたくない

うつ病体験についてポップに語る。

中島らも

 

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  健康のためなら死んでもいい、むらかなです。

 

 作家の中島らもは鬼才だと思う。ほとんど作品は読んでいるし、その考え方には

強く影響を受けている(主に悪い面)。

 

 うつ病の存在を知ったのは彼の作品です。

 鬼才と書いたのは、素晴らしい頭脳(灘中3位入学)と才能を持ちながら、自ら咳止め、睡眠薬、アルコールにのめり込み、躁うつ病を患った(薬物とうつは因果関係がある)。

 

 ただ、薬物(アルコールも薬物ですよ、強力な)の影響がなければおそらく作家にはなっていないだろう。

 

 印刷会社の営業職も優秀だったそうだ、コピーライター時代も「売れること」にも配慮ができた。

 そう、社会人としても優秀だったのだ。

 

 刑務所出所時にマスコミに土下座をしていた、ただの「マリファナおじさん」ではないのだ。

 

 彼の影響を受けてなにか良いことあったのか?_

 社会的には全く無い。彼の著書を読まなければ田舎の男尊女卑おじさんとして、

 もっと楽に生きていただろう。

 

 

 何が正しいかはわからない、正しいことむしろないのだろう。

 ハッピーエンドなどない、創作の上のみだ。

 ハッピーな瞬間は確かにある、しかし現実はそこでは終わらないのだ。

 

 事なかれ主義、男尊女卑、差別が嫌いだ。

 表立って批判はしないが、クソ野郎だと思っている。(コンプレックが根本にある差別が多いが)

 

 相手の立場に立って考えることを重視して生活しているが、それと好き嫌いは別ものだ、批判はしないけれど、迎合もしたくはない。

 

 今の私の状況は客観的に見ると「負け組」だろう。

 これから「勝ち組」になることもない。

 

 「別に負けてね−ぞ!」「勝ち負けってなんだよ?」という反発心はあるが、人生を楽しめていないという点では確かに負けているだろう。

 

 中島らもが事故死した2004年は、自分の問題に終われ悲しむ余裕はなかった。

 

 プライドが高い人間(医者に指摘され気づいた)にとって年老いて介護が必要な生活をしいらるのは、耐え難いだろう。認知症が進めば本人は楽しそうだが。

 (今、これ書いて自分の頭のなかに障害者について考えていないことに気づいた)

 

 人を理解することなんて出来ない(自分のことも分からないのに)。

 しかし相手を思いやり尊重することはできるだろう。

 

 中島らもはすべてありのまま、駄目な自分で良いんだ、正しいことなんてなんてないという生きていく上では重要なことを教えてくれた。(繰り返すがそれを知らずにクソ野郎でいた方が人生は楽しそうだ)。

 私が大衆に影響を与えることなんてあり得ない。

 しかし手の届く範囲の人に幸せな瞬間を感じさせることは出来るのではないか?

 それが自分が生にしがみついている理由だ。

 

 格好つけて書いてみました、やっぱり才能はないなー。

 んで、現実は誰も幸せにできていないという。

 

 中島らも「今夜すべてのバーで」は今の所、人生で初めて文章で泣いた作品なので是非読んでください。アルコール依存について自分の経験をもとに書かれたものです。

 

 では、また。

 

追記

 やっぱり好きなものしか紹介できない。

 あと、ググらずにかいています(文章が稚拙な言い訳)。

 あと、本が紹介出来ないから承認してくれ。

 顧客からパートナーへの壁は高い。